あなたはわたしの一生もの

いろいろあるよね

すばるくんは不器用ではないと思う話

私はあの日から、すばるくんや関ジャニ∞の想いを推測し、それを振りかざすことは意識的にしないようにしてきた。だって本当のことなんてわからないし、好きだからこそ極端に美化した神話にてしまいそうで怖かったから。

けれど、今回書いた文章は100%私の勝手な推測のもとすばるくんについてある種の美化された意見を書いているので、解釈違いの方々はいるかもしれないが、至って気軽に一意見として「ふーん おもしれー女」くらいに思ってもらえるとありがたい。








ハチミツとクローバー」という漫画がある。(急にどうした、と思う方もいると思うが、ちょっと聞いてほしい) そこに、はぐちゃんという才能溢れる将来有望な美大生が登場するのだが、物語の終盤に彼女は利き手に怪我をおってしまう。「もう絵が描けないかもしれない」という中、リハビリ中の彼女が弱音を吐くシーンがある。

「息をしてごはんを食べてあとはどうするの?」
「死ぬまでなんて長い時間、怖いよ」

作品が生み出せなくなるかもしれいない恐怖に、彼女は涙する。はぐちゃんにとって絵を描くということは前を向き、生きていくことに直結している。


今回、すばるくんがアルバムの先行配信で「ぼくのうた」が発表されて、いろんな人がすばるくんの歌を聞いて、いろんな意見を持って。
私はさっぱりした無骨な映像と食らいつくような歌い方を見ながら、すばるくんだなぁ、と思った。

そして冒頭で話した、はぐちゃんの話を思い出した。
はぐちゃんにとっての絵が、すばるくんにとっての歌だったんだなぁ、と。


すばるくんが歌うことが大好きなことは知っているが、私はそのことをあまりに甘く考えていた。
すばるくんの歌への気持ちは「人生」とか「命」とかそういうものを賭けるものなのだ。歌い続けることは音楽を続けることは、前を向いて生きていくことなのだ。私は所謂平均的な凡人なので、これができなければ生きている意味がない、というものを見つけられていない。趣味で絵も描くし歌もカラオケで歌うが、それができないからといって死なない。

でも死ぬ人はいる。

それを才能と呼ぶのだろう。
抜きん出た才能はときどき人を殺す。


ただ、すばるくんはいろんな才能に恵まれ過ぎている。容姿にも恵まれて、話もうまくおもしろい、演技もできる、運動神経も悪くない。それがすばるくんを苦しめているようにも思える。
すばるくんは「歌しかない」と言うが、凡人には「歌しかないなんてことない」ように見えるし、これができなくても、あれをやればいいじゃないかと思えてしまうのだ。


すばるくんはよく不器用だと評されるが、私はすばるくんを不器用だと思ったことはない。
すばるくんは不器用なのではなく「不器用になりたい」のではないかと思っている。(あくまで私の見解です)なるだけシンプルに、なるだけ削ぎ落として、なるだけ1つだけに、そういうものになりたくて「それしかできない存在」に憧れているように思う。

いろんなことができるし、できてしまうすばるくん。
そんなすばるくんは「歌だけ」でいいと思ってしまった。「歌だけ」を選んでしまった。
どんなに顔が綺麗と言われても、他のことがどんなに上手にできても、すばるくん自身はそれほど意味を見出だせないことなのかもしれない。凡人には理解できないけれど。いや、実際どう思ってるかは知らんけども。
そんなすばるくんが、歌だけになって、それだけになって、自分の全部の人生とか命とか、全部賭けたらどこまでいけるのだろう、と考えてしまったら、もうそれは仕方ないことなのだろう。



今のすばるくんはまさに原石のようで、今からどんな風に磨いて、磨かれていくのか楽しみである。

いろんな意見はあるが、そんな有象無象にあたふたするなら、すばるくんはアイドルを辞めていなかっただろうし、やりたいことをやりたいようにやって、悔いない時間を過ごしてほしいと思うばかりだ。





最後に

未だにすばるくんに対して「関ジャニ∞にいてできないのか」「関ジャニ∞を出てまでやるのがこれか」という意見をSNSで見かける。見つけるつもりなく、検索で簡単に見つけてしまう。


悲しいから見えやすいところではやめてほしいし、関ジャニ∞のすばるくんに呪われている人たちは、はやくその呪いが解けてくれるといいなと思う。

苦しむ為に生きないで、あなた自身を愛してください。